広島高等裁判所 昭和22年(ナ)2号 判決 1948年6月30日
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負擔とする。
事実
原告訴訟代理人は被告が昭和二十二年七月四日廣選裁第五號でなした昭和二十二年四月三十日執行の庄原町會議員選擧の當選の効力に關する異議申立に對する庄原町選擧管理委員會において「下田」「シモタ」を無効としたのは不適當と認めこれを取消す旨の裁決はこれを取消す、當選人下畑九良一の當選を無効とし、候補者田村才八を當選者とする、訴訟費用は被告の負擔とするとの判決を求め、その請求の原因として廣島縣比婆郡庄原町々會議員選擧は昭和二十二年四月三十日施行され、定員二十二人候補者三十九人で原告及び訴外下畑九良一は共に立候補し、開票の結果下畑九良一は得票數百五票で最下位の當選者に、原告は得票數百四票で次點者に決定された。原告はこれに對し下畑九良一の有効投票中に加算された「下田」及び「シモタ」の二票は無効であるから右二票を下畑九良一の得票數から減ずれば自分が當選者であると主張して同年五月五日庄原町選擧管理委員會に異議の申立をしたところ、同月九日同委員會は右二票は議員候補でない者の氏名を記載したもので孰れも無効投票であると判定し原告を當選人とし下畑九良一を次點者に決定した。しかるに、下畑九良一は右委員會の決定を不服として同月十九日被告に訴願したところ、被告は昭和二十二年七月四日廣選裁第五號で請求の趣旨記載のような裁決をした。そしてその裁決の理由は、候補者中の下畑、下森、武田、福田、見田(ケンダ)の五名は「下」又は「田」の字のある姓であるが、下森、武田、福田、見田は孰れも下田という姓とは相當相はなれていて下田は比較的下畑に近いのみならず、各種選擧において通例姓と名の混記は豫想し得られるところであるが、姓のみの混記は豫想し得られないところであり、又候補者制度採用の點から考慮しても、他に下田と云う姓の候補者は存在しないから「下田」は下畑、「シモタ」は「シモハタ」の誤字脱字として候補者下畑九良一の投票と認めることが相當であると云うのである。候補者中に下田姓の者のなかつたことは爭わないが、同選擧區内においては下畑九良一の姓を「シモハタ」又は「シモバタ」と呼んでいて「シモタ」と呼んでいる者はない。他方選擧人中下田姓を有する者には下田太三郞、下田八重野、下田〓子の三名がある。敍上のように、被告は右投票が下畑九良一の有効投票とする論據として結局(一)下田票において田と畑とは連想作用の上で關連があるから田は畑の誤記であり(二)シモタ票においてシモタはシモハタのハの字を脱落したものであると確認したのであるが原告は次の見解の下にその確認は誤謬であることを指摘する。即ち(一)下田票について述べるに(イ)田と畑との観念的類似に觀點をおく場合には「下田」と下畑とは類似していると言えるであらうが、これは投票としての表れがその視覺聽覺觀念に訴えて似ているというに過ぎない。そのために投票の意思そのものが下畑を投票したものと同一にはならない。或は間違いやすいということから間違つたかも知れないということはいえるとしても、それは投票の眞意を探究する一つの推測材料の程度を出るものではない。即ち投票の連想的關係からの類似ということはどこまでも類似であつて同一ではない。類似は投票者の間違い行爲を惹起する一つの原因であるかも知れないがこの票も果して間違つたのであることが確認せられるのには被告主張の理由だけでは足らない。被主張のように「下田」票が「下畑」と書いたのと同一であるとし、しかもそのことを確認するのには他の候補者に「下田」「下畑」と類似のものがないという條件が少くとも具備されていなければならない。(ロ)本件の場合、投票に表われた「下」又は「田」と結びつく姓であつて即ち「下田」票又は「下畑」姓と觀念的な類似關係に立つものとしては、「下森」の「森」「西田」の西が考えられねばならない。「森」と「田」との觀念的類似關係及び「西」と「下」との觀念的類似關係從つてこれ等によつてかもし出される「下森」と「下田」票、「西田」と「下田」票との類似關係は、決して「下畑」と「下田」票との類似關係に比して類似の度合を異にするものではない。(二)「シモタ」票について述べるに、被告は「シモタ」は「シモハタ」の「ハ」を脱落したものであると主張するが、これは票を視覺にのみ訴えて、僅か「ハ」の一字が挿入せられることによつて下畑の氏を表わすと見るところの觀方であつて、被告の主張に從うとしても、この票の判斷においても亦表に表われた觀念的な要素を無視しないことにならねばならない。この票も亦投票人が下森、下畑、西田の混同混亂しやすい觀念の錯誤に基いて例えば「西」と「下」との混亂から「ニシタ」を「シモタ」とし或は「シモモリ」を「シモタ」としたとも考えられるのであつて、この點は下畑を下田と書いたと考えて見る場合と異るところはない。そうだとすれば「シモタ」票も亦觀念的に紛わしいところの下畑、下森、西田のいづれに歸屬する票であるかが被告の考えているような明確さをもつて結論づけらるべきではない。その他の點については右下田票について述べたところと同様である。要するに投票に記載表示された下田姓の候補者はいないが、候補者の上に「下」又は下に「田」の字を以て構成せられたる姓を有する者に岡田、下森、武田、見田、福田、西田があり、選擧人中に下田姓を有する者に敍上三名の下田があるのであるから、本件係爭の二票は候補者中何人に對する投票であるかを確認し難いものとして無効と解すべきである。從つて下畑九良一の得票は二票を減ぜられて百三票となり原告の得票數よりも少くなるから、原告が當選人となり下畑九良一の當選は否定されねばならない。しからば被告が敍上のような裁決をしたのは失當であるから原告は被告に對し右裁決の取消並に當選人下畑九良一の當選を無効とし、候補者田村オ八を當選者とする旨の判決を求めるため本訴請求に及んだ旨陳述した。(立證省略)
被告代表者は主文第一項同旨の判決を求め、答辯として原告主張事實中原告主張の日廣島縣比婆郡庄原町々會議員選擧が施行され、原告及び訴外下畑九良一が共に立候補し、開票の結果下畑九良一は得票數百五票で最下位の當選者に、原告は得票數百四票で次點者に決定されたこと、これに對し原告が庄原町選擧委員會に異議の申立をし、同委員會は原告主張のような決定をしたこと、下畑九良一はその決定に對し被告に訴願したところ、被告は原告主張の日その主張のような裁決をしたこと、右選擧に際し候補者中に岡田、下森、武田、見田、福田、西田の姓を有する者が存在していたこと及び選擧人中に下田太三郞、下田八重野、下田〓子の三名(但し同一世帯)の存在していたことは孰れも認めるがその餘は否認する。なお下畑九良一の姓は一般に「シモハタ」と呼稱されている。由來田畑と呼稱する言辭は吾人の生活觀念上相互に不斷なる關連的想起性を具有し、田は畑を、畑は田を連想喚起することは日常の經驗に照し通常否み難い事實で又世間往々田畑を呼稱するに單に田をもつて代表呼稱することは敢て稀とはしない。蓋しその關係の不即不離なるは一面混同を免れない所以である。右候補者中下畑を除いた下森、岡田、武田、見田、福田、西田の六姓は孰れも「下田」又は「シモタ」と何等相似相類の跡を認め難いのに反し、下畑は觀念上將た又事實上相似相類相近いものがあつて、他に下田姓の候補者のない本件選擧においては「下田」は下畑の誤字又「シモタ」は「シモハタ」の「ハ」の字の脱落したものなることを確認して右二票を下畑九良一の有効投票中に加算して、庄原町選擧管理委員會の決定を取消した原裁決は最も正鵠を得た妥當な認定で原告の本訴請求は孰れも理由がないと述べた。(下略)
理由
原告及び訴外下畑九良一が昭和二十二年四月三十日施行された廣島縣比婆郡庄原町々會議員選擧に立候補し、下畑九良一は得票數百五票で最下位の當選者に、原告は得票數百四票で次點者に決定されたこと、原告はこれに對し原告主張の理由で庄原町選擧管理委員會に異議の申立をしたところ同委員會は原告主張のような理由で原告を當選人に下畑九良一を次點者に決定したこと、しかるに下畑九良一は右委員會の決定を不服として被告に訴願し被告が原告主張の日その主張のような裁決をしたことは孰れも當事者間に爭はない。
よつて本件係爭の「下田」及び「シモタ」の投票が下畑九良一のための有効投票と認むべきかどうかにつき考察するに、およそ選擧においては通常選擧人は候補者に投票するものであることは明白な事實であるから、投票記載の氏名が正確には候補者の氏名を書いたものでなくとも、投票記載の氏名と類似の候補者が存在していて諸般の情況から該候補者に投票する意思で書かれたものであるにかかわらずその氏名を誤記し又は遺脱したものと認められる限り、該候補者のための有効投票と認めるのが相當である。今本件についてこれを觀ると、本件選擧に際し立候補した者の中上に「下」の字下に「田」の字のある姓の者は下畑九良一を除いては岡田、下森、武田、福田、見田、西田の六名であることは當事者間に爭はなく、證人上原三衛の證言によれば世間一般の人は大部分下畑九良一の姓を「シモハタ」と呼び、ごく一部の人が「シモバタケ」と呼んでいる事實を肯認し得べく、又本件選擧に際し下田姓の選擧人は下田太三郞、下田八重野、下田〓子の三名である事實は當事者間に爭なく、右三名は同一世帯の者であることは本件辯論の全趣旨に徴して明かであるが本件係爭の「下田」及び「シモタ」の二票は暫く措き、他に右三名のために投票せられた無効投票のあつたことはこれを認むべき證據はなく、敍上の如く選擧人は通常候補者に投票するのが明白な事實であるから本件係爭の二票も選擧人たる右三名のために投票せられたものとは認められない。しかして本件係爭の一票「下田」は右候補者中岡田、下森、武田、福田、見田、西田とは類似性薄く比較的最も下畑に類似しているので、岡田、下森、武田、福田、見田、西田を誤記したものとは認め難く、下畑九良一の下畑を誤記したものと認めるのが相當であり、又他の一票「シモタ」も發音上岡田、下森、武田、福田、見田、西田とは相當はなれていて最も下畑(シモハタ)に類似しているので、岡田、下森、武田、福田、見田、西田のうちの字を遺脱したものとは認め難く「シモハタ」の「ハ」の字を遺脱したものと認めるのを相當とするから右二票は孰れも下畑九良一のための有効投票に加算すべきであることは明かである。原告提出の全證據によるも右認定を覆えすに足らない。しからば被告が庄原町選擧管理委員會において「下田」及び「シモタ」を無効と認めたのは不適當であるからこれを取消す旨の裁決をしたのは洵に正當であつて、從つて下畑九良一の當選の有効なることは言を俟たない。原告の縷々陳述するところは要するに被告と異る見解に立つて、被告のなした合理的な認定を非難攻撃するものであつて採用の限でない。
敍上の次第で原告の本訴請求は孰れもその理由がないから失當としてこれを棄却し、訴訟費用の負擔につき民事訴訟法第八十九條を適用し主文の通り判決する。